賽ノ河原ブログ

日本語ラップと映画の話を淡々としています

MORNING RUSH と ものすごくうるさくて、ありえないほど近い

朝になって仕事に向かわないといけない。
同じような毎日が流れてくる。
私が向かおうとしている場所、私がしようとしている事、それは何か結果を伴って進んでいるんだろうか。
何万回と回る時計の針がゴールを知らないように、思考が堂々巡りする。
人生を走り続ける事になんの意味があるんだろうか?
何か、意味を見出して見たくなって、スマホから音楽を流してみた。
 
朝の5分はもう憂鬱だ 電車も窮屈だ 
けど 洗面台の鏡が 最高の僕ら 映した
 
そう、私に囁いたリリックがあるこの曲の名前は「MORNING RUSH」だ。
私は朝だから憂鬱なのかもしれない。
これが一日の終わりに近づけば、朝の憂鬱は杞憂に終わって、人生の意味について考えてしまった事を忘れている気がする。
時計の針と同じようにずっと同じ場所を何度も通ってるなんてことを忘れる…。

けれど、今日は何だかそれがいけない事のような気がして私は、リリックにあるように鏡に自分を映して見ようかと思った。その鏡の名前は「ものすごくうるさくて、ありえないほど近いだ。

私は堂々巡りの一日に気を病むと時折映画を見ることにしている。そうすると時計の制約から逃れられるような気がするからかもしれない。
今日のこの感想文は、その映画越しに音楽を聞いてみようとふと思ったから始めたのだ。だから、今日の私は主人公のオスカーと一緒にある。
オスカーが探しているのは、父の遺品の鍵の鍵穴だ。封筒にあった"ブラック"のヒントを元にそれを探そうとしている。それが見つかればオスカーは父親に近づける気がしている。オスカーは"ブラック"と名のつく人達に片っ端から、話して聞いて回っていった。オスカーはこう言った。
 
問題は単純だった
"この鍵の鍵穴を探す"
僕はその攻略法を考えた
その問題を徹底的に分析し
巨大な方程式の一つの数字として
一人一人を考えた
 
でも失敗だった
人は数字ではなく文字みたいだからだ
その文字は物語となって
 
誰かに聞いてもらいたがる
"ブラック"一人につき6分の予定だったけど
毎回必ず長引いた
 
誰もが僕の予定よりも長く
パパのことで僕を慰めようとした
自分の話をしたがった
僕は慰めも友達も要らなかった
鍵穴さえ見つかれば
 
僕はパパに近づけず
失いかけてた

 

結果の伴わない日常とオスカーの言葉が重なる気がする。鍵穴さえ見つかれば…その答えを探しているのに、到達しない苦しみと焦燥感の狭間で息をしているのだ。
そんな事を思い返しながら、MORNING RUSHを聞いていた。思っている事とは対象的にずっとずっと明るい曲だと思う。
次の一歩が踏み出せなくなってしまったと感じていたからそう思ったのかもしれない。
 
wake up 起きてまだ布団の中  
携帯もぞもぞといじりながら 
限界がくるもう数歩前  
「でもやるんだ」って決めたのはずっと前 

 

これはfeaturingのKEN THE 390のリリックだ。なんとなく現状に刺さるリリックに耳を傾けてしまう。そもそもこの曲が収録されているのは「社会人」という名前のアルバムである。社会に生きる人々に対して、背中を押すようなリリックが多いアルバムだ。「社会人」と聞いて、大学四年生が正社員として送り出されることが社会人だという前提の言葉で話す大学のOBの祝辞を聞いて、はっきりと"関係無い話だ"と思った私にとっては、これも"関係無い"ことだろうと思ってしまったことがある。それなら、なんとなく社会から疎外されてる人なんじゃないかと自分は思ってしまうからだ。けれど、その中に込められているリリックはそんな狭窄した視野で語られる事は無く、社会の中で生きる人へ向けられている。
多分、結果が伴わないのは今まで結果を求めていなかったからなのかもしれない。
このリリックを聞いて思ったのはそれだった。やるんだと決めてやろうとした事、何をやろうとしてるのか自分の中に無かった事を思い知らされた。
だとしたら、オスカーは私よりもずっと先を歩いている。オスカーにも取り残されそうな私は結果を求めないと答えなど到底掴めないと気づいてしまった。
 
ベッドから出れば歓迎する sunrise 
スマホのアラームの歓声「おはよう」 
理想の気分 なりたい自分  
神様はそんな僕らにギフト ギヴン「thank you」

 

理想の自分って一体何なんだろうと考えてしまう。オスカーは鍵穴の向こう側に父親を探した。それは自分が出来なかった事への埋め合わせのようにそれこそ必死に探していた。この感想文の登場人物は私以外、全員前向きだ。夢や理想を形にする為の努力をしているのだ。
一つだけ私がやっている事があるのなら、こうやって文章を書き連ねている事だと思う。思っている事を文章にする事で形にしているこの吐き出した感情の塊が何かになるとは到底思わないようにしていたかもしれない。例えば、批評家になりたいんだとか…。具体的なそれに名前をつけることを避けていた。
 
[DOTAMA] 
床に散らかった背広 将来の計画  
ここに残し思い思い step up  
何時だろうと朝は眠いけれど  
夢と明日を見てる anytime 
 
[KEN THE 390] 
そりゃ誰でも生きてりゃあるだろ error 
まぁそりゃ確かにないほうがいい better 
でも無理やっぱこれでもう 何度目か 
昔の方が もっとちゃんとしてた??

 

オスカーは調査をするたび、自分の苦手なものと戦った。橋や街の騒音や電車。鍵穴に近づけなくても、訪ねた人達から得たものはオスカーにとって大切なものだ。
私はオスカーになれたなら、前向きに生きられるかもしれない。
 
私がオスカーだったなら、音楽のところへ
訪ねては鍵を持って歩くんだろうか?私の持つ鍵の鍵穴を知っているか?と聞きまわりながら。私は鍵穴の向こう側に自分の夢があると信じる。
 
"ものすごくうるさくて、ありえないほど近い"あれはオスカーの調査記録のタイトルでもある。つまり、具体的に名前をつけられない何かを追っても、記録は出来るのだ。
 
私が、答えを探そうと、問い続ける事が出来るなら、記録が出来るように。
 
だとしたら、私の人生は堂々巡りでは無いし、毎日が違うのでは無いだろうか。
 
そんな事を考えていたら、MORNING RUSHに相応しく、私も出勤する時間になっている。この曲は繰り返し、フックでこう言っていた。
 
we got something. this morning rush 
i love sunshine in this world 
we got something. this morning rush welcome to new dimension 

 

このフックは、一番この曲の中で前向きな言葉だと思う。

日々を乗り越えていけるからこそ、何かを得て明日に向かっていける。
オスカーが鍵穴になかなか近づけなかったように、私もなかなか夢には近づけないだろう。けれど、毎日を生きる度に、知らずとも何かを得ているのだと気づけたら、同じだと思ってしまう日常ごと愛せるのかもしれない。
これから、仕事に行く私の背中を押してくれたような気がした。
 
 
 
引用
DOTAMA「MORNING RUSH」より歌詞を引用