賽ノ河原ブログ

日本語ラップと映画の話を淡々としています

EnergyDrinkとショーン・オブ・ザ・デッド

なんでライブ見に行く時に限って雨降ってるんだろう。台風の時もあったなぁ。

小さな不幸がついて回るみたいで、それは、私の影にでも潜んでいるのかもしれない。

そうして、その影に潜む怪物がきまぐれで足を引っ張っては段差も何もない道で私をつまずかせて、ため息をつかせる。

説明のつかない不愉快な現象を全部ありもしない影の怪物に擦り付けてなんとなく気を紛らわせているのかもしれない。それにもう少しユーモアを持たせるなら、そいつは厄介で憎めない妖怪なのか、単純にゾンビなのではないかと思うことにしている。

そんな私にほんとぴったりの映画があるのだが、「ショーン・オブ・ザ・デッド」を見たことがあるだろうか。

主人公は冴えない家電販売員のショーン、彼女のリズとデートしても、記念日に場末の飲み屋ウィンチェスターへ何故か無職のルームメイトのエドも一緒に連れていくような男である。職場では高校生になめられ、立ち姿からなんとなく情けなさを感じる。そして、彼女には別れ話を持ち出される。そんな男の日常がゾンビのいる世界へと変貌してしまうのだ。まるでいつも飲んでいたコーラがエナジードリンクに変わったみたいに。

 

 

ああだこうだ言われたって俺はこうだ
高級料理よりドミノピザにコーラ
だって俺ら団地育ちの不良やん
やりたいことやってない奴が異常者
シャンパンに花火 おしゃれなヤンキー
ファッションなんてノリ 女の子大好き
世間の目なんてどうだっていい
仲間が見てるし降参できん

 

 

エナジードリンク”と言ったらこの曲が頭をかすめる。なんだかよくMCバトルのビートで聞いた覚えがあるからだろうか、一回聞いたら頭に残ってしまう。そして、自分がヒップホップを聞いていることに対して違和感を実感してしまう曲だったりする。

自分自身ほとんどショーンと変わらない日常だからだろうか。職場で責任者に理不尽に注意され、ほかの従業員から、ただのいい人だと思われてそうだ。そして、そんなショーンみたいなやつはフロアの端っこで棒立ちでフロアの亡霊のように佇んでMCバトルを見ている。違和感を感じないほうがおかしいかもしれない。

ANARCHYは、ただのいい人ではない。当たり前だけど、リリックに、にじみ出ている。

ヒップホップでいうところのリアルは、私にとってはゾンビが発生している世界のように稀有な状態だったりする。自分に語れるリアルはそういう事に掠めもしないからだ。これなら、元々治安の悪い街で店長を経験していたと武勇伝を語る後輩従業員の方がヒップホップらしかったりしてなんて思う。私のゾンビは私の影にいて、足をつまずかせるためだけにいる。つまずいた先、ふざけてドヤ街を歩いてみたなんてドヤ顔で塀の向こう側のリアルを見る程度、その程度のリアルでしか無い。きっとANARCHYなら百鬼夜行を鉄パイプで蹴散らして、三千世界の王にでも君臨できそうだなどと思ったりする。

 

だから、エドとショーンが自宅で仲良く深夜にエレクトロを大音量で流してスクラッチしながらふざけている週末から世界の終末が訪れるところを見て、虚構なのに少し羨ましがったりするのかもしれない。

ショーンのルームメイトのエドは、世界が平和でも、どうしようもない奴だ。空気が読めないし、いつもだらしない。それでもショーンは面白いしいい奴なんだとかばうから、態度を改めるつもりもない。ショーンはエドがいるからふざけていられるのだと思う。それは楽しい時間なのだろうと思う。だけれど、エドがいると、終末が訪れても、馬鹿げた計画を立ててしまうし、実行してしまうのだ。

 

 

“ピートの車で母親の家に行き、ゾンビ化した義父を始末して、母親を救出し、リズの家に行って、リズを救い出し、事態が収拾して助けが来るのを、ウィンチェスターで冷たいビールを飲みながらみんなで待つ。”

 

 

ピートもルームメイトだが、既に彼はゾンビになっている。そして、彼がゾンビになったことでツッコミ不在になってしまったのだ。ピートは深夜の大音量に怒って、エレクトロのレコードを窓の外に投げるような奴だった。ピートのゾンビ化とともに、彼らから投げ捨てられたのは常識だったのかもしれない。もう、誰も彼らを止める人はいないのだ。

 

 

気分がいい分 町もユニーク
ギャルも振り向く ジャパニーズドリーム
自分らしく生きる 着たい服着る
タトゥーにグリル ハイチーズ
シャンパン飲むダチ お金使いすぎ
稼ぐだけ毎月 馬鹿騒ぎ大好き
世間の目なんてどうだっていい
仲間が見てるし降参できん

 

 

なんとなく思う。エドは私にとってはヒップホップそのものに等しいかもしれない。唯一常識を忘れて、客観的に見たら馬鹿げた計画を普通にできてしまえるものだから。

ANARCHYのEnergyDrinkもヒップホップのひとつだ。そして、これを全部飲み干せるほど体力が無いのが私で、全部飲むころにはいつも胸やけを起こす。

どちらかといえば飽き性で諦めがちな性格だと自負しているが、これを飲むとなんとなくやり切れる気がしてきて、頑張ることはできる。しかし、自分がリアルで無いせいなのか、反動でよくわからない自己嫌悪にとらわれてしまったりする。胸やけしているんだと思う。

じゃあ、リアルになればいいのでは?と言う人もいる。逆に聞きたいのだけど、お前はできるのかと。しがないレジ打ちが急に不良にはなれない。まして、年齢を重ねるごとに、不良になどなれはしない。すでに、不良が改心するような年齢に差し掛かっているからだ。

でも実は、ひとつはぐらかしている事がある。

ANARCHYが言う“自分らしく生きる”“やりたいことやってない奴が異常者”というリリックは別に私にでも刺さるからだ。そう、その辺の事を言われると、“うっ”と、うめき声をあげてしまいそうになる。

 

ショーンは高校生のノエルにこう言われていた。

 

“ノエル、仕事中は携帯を切れ”

“はいはい、わかりました。おじいちゃん”

“おい、俺は29だぞ。君はいくつだ?20か21か?”

“17だよ”

“そうか…仕事が嫌なのはわかる。俺だってここにいたくはない。ほかにやることがあるし…”

“いつやるの?”

“……”

 

 

きっとショーンがこの時点でANARCHYだったなら、ノエルはボコボコになっているのだろうか。そうでなくても、なめられることはないと思う。

ショーンにとって良かったことは、エドがいて、終末がやってきたことだ。そして、そこで、土壇場になって出したやる気で馬鹿みたいに思える計画をなんとか実行してしまえたのは、胸焼けせずエナジードリンクを飲み干せたからだと私は思っているし、それは、この笑えるゾンビ映画の中では一番学んだことだったりする。

 

 

まだ眠れない 楽しいなこの国
今ならビルからビル飛べる気がしてくる
信じた君だけにミラク
大笑いした人たち後になって気が付く
楽しむこともっと頑張ろう
だって遊ぶことも仕事なんだもん
明日も楽しめること探そう

 

リリックの終わりにあるこの言葉は割と好きだったりする。自己否定の権化のような自分にとってまったくかけ離れた言葉なのだけれど、何より自分らしく生きることの本質な気がしてくる。何故かといえば、いまの生き方楽しいですか?と問われているように思うからだ。

 

コメディ映画の中の冴えない男に自分と同じ影を感じながら、私は影に潜む厄介で憎めない妖怪なのかゾンビなのかわからないものについて、エナジードリンクを胸焼けして飲みながら、思いを巡らせる。

足を引っ張っられてつまずいているんじゃなくて、自分らしく生きる方に転ばせたいんじゃないだろうかと。

 

たまには、物事を後ろ向きに考えず信じてみてもいいのかもしれない。

降り続く大雨が少し小雨になった気がした。

 

引用

ANARCHY「EnergyDrink」より歌詞引用

ANARCHY(アナーキー) OFFICIAL WEBSITE (avex.jp)

 

ショーン・オブ・ザ・デッド」よりセリフ引用

ショーン・オブ・ザ・デッド (字幕版)