賽ノ河原ブログ

日本語ラップと映画の話を淡々としています

ブッダの休日 と ニュー・シネマ・パラダイス

空を駆けてくような気持ち良さ 
身体いっぱい浴びる御日様の
陽溜まりの中今を生きる
自分のリズムつかみ風を吹かす
空を駆けてくような気持ち良さ
身体いっぱい浴びる御日様の
心地好く差し込む日溜まりの中
自然のリズム掴み 俺ら行くのさ

 

忙しい1週間の中の唯一の娯楽は休日だ。毎朝のMORNING RUSHを越えた先、自分のペースで進める事の出来る一日、出来るなら至高の時間にしたいと誰もが考えるはずだ。通勤時間に聞く音楽と、休み時間に聞く音楽は全然違うように聞こえる。仕事に行くのに聞く音楽は自分を確かめる為に聞くのだけど、気の張らないリラックスした時間に聞く音楽は自分を楽しむ為に聞く。
そんな休日に「ブッダの休日」を聞くことにした。この前から日本語ラップに興味を持った私は、にわかなりにブックオフで名盤と言われる日本語ラップのCDを探して来たのだ。(なんかネットで買うよりアナログってかっこいいじゃんか。)
いつもの休日は映画鑑賞だった。
いつか見ていたのは、「ニュー・シネマ・パラダイス」だった。
小さな映画館のノスタルジーに似たものがこの曲の中に込められているような気がした。
一歩電車から降りてみれば、都会の騒音が耳を席巻する。そんな煩さから抜け出して、自然の中に吸い込まれていく。私にとっては、つかの間、映画を見ている時間に似ていたかもしれない。楽しい時間だ。
ブッダの休日」を聞いていると、現実がずっと病める世界なんじゃないかと感じてしまう。自分がいる場所から抜け出して、一歩出て都会へ行く事、それが繰り返しになると、少し小さい箱から大きな箱へ乗り換えただけなんじゃないかと思ってしまったりする。代わり映えが無いようなそんな毎日が続く。それは、キスシーンをカットされ続け映写される恋愛映画のようだった。公序良俗の規律だけ正しく守られ映される映画。その繰り返しに対して、私はそれを受け止めるだけになっているんじゃないだろうか。「ブッダの休日」のリリックからはところどころ、現実の暗がりが見える時がある。リリックの陽だまりの明るさ故にその暗さも並んで見える。
ブッダの休日を聞きながら、「ニュー・シネマ・パラダイス」の名言を思い出した。
 
「自分のすることを愛せ。子供の時、映写室を愛したように」
 
これは、映画技師のアルフレードが青年となった主人公トトに向けた名言である。
BUDDHA BRANDと「ニュー・シネマ・パラダイス」に共通点があるとすれば、その愛についてだと思う。そのリリックはヒップホップとillな表現力への愛で出来ていると思う。
 
一丁ラー 決め込み 雲の上に乗り
究極の快楽求め 旅に出る
どこへ行くかは自分で決める
注意事項 周りにはめられないよ
ストレス解消 めぐるめぐる瞑想
気分爽快な乗物
流星パイロット 自由飛行 青天井

 

BUDDHA BRANDのリリックはどことなく怪奇な雰囲気が漂っていて、その正体不明さがどこまでもillmaticに作品を彩っている
このCQのバースは結構気に入っている。決して煙に巻けない現実があるからこそ"自由"という言葉が際立つリリックに自分を重ねて見るとふと思う。
別に、自堕落に何もやりたくないのでは無いのだけど、なかなか前に進めない。何かになりたい希望、誰しも抱きそうな理想を持って前に進もうとするのだけれど、その目的地が見えなくて、一体何を選択すべきか分からなくなる。何かを失くしてしまっている。
そんなとき"休日"が必要なんだと思う。
「MORNING RUSH 」が 毎日を戦う為に日常を前向きに自分を見出す曲なら、「ブッダの休日」は、毎日の戦いに備える為に、休日を楽しんで自分を見出す曲かもしれない。
 
いつも嗅げない匂いに気付く
普段見えないものまで見える
都会じゃ聞こえない音が聞こえる
見失った自分を取り戻す

 

DEV LARGECQNIPPS、三つ巴の言葉はこう告げる…一服の煙に揺られながら、リラックスした雰囲気のなか、気持ちが開放されるような、ゆったりとしたビートの上に乗ったリリックは、ノスタルジーを伴って、いつの間にか無くしてしまったものを取り戻せるような気持ちにさせる。
それでも、代わり映えのしない恋愛映画が映写され続けた。カットされたフィルムの行方は一体どこだろうか。エンドロールの見えない映像は病める世界の如く繰り返す。見たいと思えど見つからないそれこそ失くしてしまったものかもしれない。エンドロールに届かない繰り返しが続くが、それは終着点をカットされているからだ。自分からゴールを見つけなければ、この映画は終わらせる事が出来ないのだ。それに気づいたとき、カットされたフィルムの行方を知る。
自分が主人公の映画なら、自分はどうなりたいだろうか。映画の主人公が映写室を出て映画監督になった。そうなれたからこそ、エンドロールが見れた。誰も読まないような感想文の先、私だったら…。
何となく分かってても書きたくないので、一人で将来を思って、私だけでカットされたフィルムのコマギレを光にかざしたら、燃えて火事になってしまいそうだ。
それでも、目的が見い出せたなら、明日へ進むだけだ。私のエンドロールはまだ先にあるみたいだ。
 
自然のリズムのシャボン玉に乗り
生きる喜び再認識
光り輝く未来へ向かって
明日も頑張れ お前
Have a nice day お前 明日も頑張れ

 

映画が終わるかのように「ブッダの休日」も終わりへ向かう。小さな映画館のノスタルジーを詰め込んだような休日は、失ったものを取り戻させたかもしれない。
自分のする事を愛せるからこそ、毎日は輝き、休日は素晴らしい時間になるのだとしたら、今日はいい日だったかもしれない。
この感想文をちゃんと書けたことが、私が私のする事を愛せた証拠であると思うからだ。そして、一歩だけ私の映画は進んだかもしれない
 
 
引用
BUDDHA BRANDブッダの休日」より歌詞引用
 
ニュー・シネマ・パラダイス」よりセリフ引用