賽ノ河原ブログ

日本語ラップと映画の話を淡々としています

小名浜 と スタンド・バイ・ミー

私は昔から駅のホームが嫌いだった。
特に急行が通り過ぎる時の轟音と風が顔に直撃する瞬間が怖かった。
そして、ホームを覗き込むと線路のちょっと先にある大きなトンネルが怖かった。
先が見えないほど暗く、それがとてつもなく怖かった。けど、気になって覗てみたり、わざと電車の近くに行ってみたりしたのだ。
だが、今はそれが怖くなくなってしまった。
駅にはホーム柵が出来て、その先にある恐怖みたいなものが隠されてしまったからだ。
私がリアルさを求めてヒップホップを聞いてるときそんな昔のことが思い出される。
この柵の向こう側にあったものを怖いもの見たさで覗き込むような感じと似ている気がしたからだ。
私のリアルを、自分よりハードな過去を持った人間の横に並べても、全然見合わない。実際に小説を書いて本にしている人に対して、「私も小説書いてるんです」と、横に並べる勇気を私は持っていない。
ヒップホップを聞いてるときそんな気持ちになってしまうと、聞いてること自体が悪いような気持ちになる。なんとなく場違いさを心に抱くからだろうか。
それでも覗き込みたくなってしまう。柵の向こう側にあるものを、何故か探してしまいたくなるみたいに。
絶対に交わらない人生を、柵の向こう側から見ている。
スタンド・バイ・ミー」のようだ。好奇心が歩かせる足が行く先を線路は知らないみたいで、時には道を外れて、獣道にぶつかったりする。

”なぜ死体を見たいのかよくわからなかった”
”だがたとえ一人でも私は行くつもりだった”


主人公のゴーディが仲間たちと探していたのは死体だ。
冒険の始まりはちょっとした好奇心からだった。
友達四人のひと夏の冒険を描きながらも死体探しという不穏な響きをはらんで、道を少しずつ外していくみたいだ。
けれどもゴーディはいつの間にか、それを求めるみたいに森の中を進んでいた。
小学生と死体。同じくらい私とヒップホップは不釣り合いな気がする。そのなかでも最も自分から遠くかけ離れているようなヒップホップは悲壮なリアルの描かれているような音楽のことだと思う。

部落育ち 団地の鍵っ子 駄菓子屋集合 近所のガキんちょ
ヤクザの倅か母子家庭 親父がいたのも七つの歳まで
二歳の妹がいようと死のうとするお袋に
「帰ろうよ。僕が守るから大丈夫」
光るタンカー埠頭の解放区


ひと夏の冒険を、楽しみながら、それを片隅では自分が不謹慎だなんて主人公のゴーディは思っていた。はじめてこの曲を聴いたときは好奇心で曲を聴いている。だから私もゴーディみたいな気持ちだと思った。映画を見るような観光気分で立ち入ってしまうと、自分の場違いさを思い知ってしまって、その心持でいることに少し後悔する。
最初は観光のつもりで聞いていたからか、路地を曲がったら、全然違う街の風景と出会ってしまって、その匂いが消えず残ってしまうような気持ちになる。
しかし、聴き続けると、いつの間にか当事者感覚になってリアルを何処かで平然と受け止めてしまえるようになってくる。路地の匂いは自分のものではないにも関わらず、不思議な共感を生む。起伏の無い平らな世界線を跨ぐような気持ちでしか感じられない日常の中に、どこか同じものを求めている。
小さな街から4人の男の子が冒険に行くみたいなそんな跳ね上がる気持ちとは裏腹に、曲中、綴られた言葉はアスファルトのように一度こびり付くと、ちょっとや、そっとじゃ落とせない。或いは、煮えたぎったアスファルトがグツグツしてるのを覗いてるときの背筋がゾクッとするような気持ちを思い出す。そこに手を突っ込んだらどうなってしまうんだろうだなんて怖いもの見たさな気持ちも少しある。
私が探しているものは何なんだろうか。何かあるような気がして、聴き進める。

中学卒業も更生院
数年後には準構成員
旅打ちはまるで小名浜のカモメ
行ったり来たりが歩幅なのかもね
くじけた背中を洗うソープ嬢
泡と流す殺気立つ毒を
小名浜港は油で濁す
必要悪があくまで美徳


リリックを聞き進めるごとに、侘しさを感じてしまう。
道を外れて、順当に悪に染まっていくように年を重ねていく。
どこか救われなさを感じながらも”必要悪”という言葉に自分にとっても、社会にとっても存在していいというような願いを感じてしまう。

ひと夏の冒険。子供達の好奇心に満ち溢れていたが、冒険を通じて見たものは楽しさとは少し違うように映る。
4人の少年たちはそれぞれに抱えた家庭の問題と隣り合わせに冒険をしている。死体探しはそれぞれの問題と向き合う形で進んでいく。いざ、その現実と向き合ったとき、彼らはどうなっただろうか。

「ぼくと進学組に入ろう」
「ありえないね」
「君は勉強できる」
「無理だ」
「どうして?」
「みんな家庭で判断するからさ、僕は家庭が悪い」
「間違ってる」
「その通りさ、給食の金の時も何も聞かれなかった。いきなり停学さ。」
「盗ったのか?」
「盗ったさ、知ってるだろう。テディも知ってる。みんな知ってる。バーンですら。でも返そうとしたかも。」
「返そうとしたのか?」
「かもな、かもだ…じつはサイモン先生に返しに行ったかも。
でも金は出てこず、ぼくは停学だ。翌週サイモン先生は新しいスカートを」
「茶色の水玉のやつだ!」
「ぼくが盗った給食代をサイモン先生が盗った。それをぼくが言ってもアイボールの弟のクリスをだれが信じる?これが金持ちの子のした事なら先生は同じことをするか」
「しない」
「でもぼくは…先生はスカートが欲しかったんだ。ぼくがチャンスを作った。返そうなんてバカだった。でも、まさか…まさか先生があんな事を…もういいさ。ただ、だれも、ぼくを知らない土地へ行きたい。おれ女々しいよな…」


これは森の中で夜の番をするゴーディとクリスの会話だ。クリスの家庭は信用が無い。夜、冒険の合間だったから、街を離れた森の中だったから、友人に感情を吐露したのかもしれない。
普段のクリスの強さとは正反対の感情をここで見ることになる。
クリスにも居場所がなかったのかもしれない。

夜の森を過ごすみたいに、小名浜のリリックを聴いているのだとしたら、私が探しているのは救われない現実なんじゃなかろうかと思う。
鬼のアルバムに「火宅の人」と名を冠するものがある。火宅の意味はこの現実だ。
燃え盛る家の上に私達は生きていて、抜け出す事なんて出来ないんじゃないかと思ってしまう。自分のことを振り返ってみる。現実に向き合うと自分はなかなかに怠惰だと思う。生きる事に振り回されて人生を生き埋めにしていて、既に何か手放してるような気がする。これを書くにしたって何かを言い訳に手を止めていた。もう長いことずっと訪れなかった店に、急に必要だからと訪れてもそこにはもう誰もいない。自分を責めても返って来ないものもある。
リリックを追っていると考えてしまうのは、人生の影だ。その影は過去を色濃く反映してしまう。
過去に善悪で単純な価値を見出すのは出来ない。ただ、そこに存在していてる過去は今を作っている。そして今に対してみな居場所を求めていたんだと私は思った。

「ぼくは役立たずだ。パパ言ってた。」
「パパは知らない。」
「嫌ってる。」
「違うよ。」
「パパはぼくを…」
「君を知らないんだ」
「パパはぼくを嫌ってる。ぼくが嫌いなんだよ。」
「…君はきっと大作家になるよ。書く材料に困ったら、ぼくらの事を書け。」
「きっとすぐ困るね。」


死体という現実を目の当たりにして、ゴーディは現実と向き合った。ゴーディは優秀だった兄の後ろで、自分の存在を確かめたかった。もうその兄はいないのに有り続けた記憶に苦しめられて、彼の家族が誰も彼も兄を追いかけているように見えて。そこでは自分が役立たずのような気がしていた。ゴーディには話を面白く語れる才能があった。クリスはその才能を知っていた。
森の中でのクリスとゴーディの立場が逆になって、今度はクリスがゴーディを支えた。
自分を必要としてくれる友達がいた事は彼にとって幸運な事だったかもしれない。そこでは彼が存在する事が出来た。

懲役も満期でテンパイ
八郎の病死 オヤジ呟く面会
ナオの受信で知ったオリカサの他界 この塀は高い
独房が妙に暖かい 日差しも美と知る 落葉の赤落ちて
寂しさの中で寂しさが美しいと知る
秋の優しさと赤落ちはいる
昔見た地図 再び睨み 行き交うハスラーの中軸と信じ合う
下らんことでバカ笑い出来る仲間が今も此処にいる それがリアル
続く此処から 江戸の小名浜
渇かぬ鬼の赤い目に 愛が見えませんか?

私が探していたのは本当に救われない現実なんだろうか。
「スタンドバイミー」を思いながら、鬼の「小名浜」を聴いている。好奇心から離れて現実をみて気づいたのは、救われなさだけではない。救われなさを誰かのせいにするのではなく、そこから出ていこうとする気概じゃないだろうか。どれだけの不幸が重なろうとも、無力でも本人の気持ち次第で道の続きは変えていける。

ゴーディは大人になって、少年時代を振り返って物語を綴る。もう、仲間たちはいないのだけれど、心にあり続け、彼に筆を取らせた。まるで、導火線に火をつけるように。
鬼のリリックも火だと思う。リアルを綴るリリックには傷跡を残しながらも、決して下を向いてはいない人間のひたむきさが見える。それは、それを書き綴ることにおいて諦めていないからだと思う。
だから私も探し出した導火線にただ火をつければいいのだと思う。
リリックの最後にこう綴られているように。


小名浜の汽笛を 背に受け 港へ向かえ
小名浜の汽笛を 背に受け 都で歌え
小名浜の汽笛を 背に受け 港へ向かえ
小名浜の汽笛を 背に受け 都で歌え


引用
鬼「小名浜」より歌詞引用
D.O.P.E(Drop Out Project Entertainment)オフィシャルサイト | 鬼


スタンド・バイ・ミー」よりセリフ引用
スタンド・バイ・ミー (字幕版)